ふじみ野市 マサキ薬局 の 漢方なブログです。漢方・健康情報を主体に書いて行きます。
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漢方薬の郵送禁止問題に関して、この記事を見逃していました。
昨日の日中医薬研究会の例会でF先生から教えてもらった情報です。
リンク: 多田富雄の落葉隻語 漢方薬 郵送禁止の乱暴 : こころのページ : 暮らし 社会 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).
近年医学界では「エビデンス・ベイスト・メディシン」という長たらしい言葉がはやっている。エビデンス、つまり科学的根拠に基づいた医療という意味だ。
医学は科学だから、科学的根拠があるのは当然だ。昔のような「さじ加減」は通用しない。薬の投与量は科学的に決定される。患者の状態はあらゆる検査によって、正確に把握される。昔のように曖昧な聴打診による経験的診断法は排される。
こうして近代医学は発展してきたのだが、それが行き過ぎて、問題も起こっている。医者がパソコンばかり眺めていて、患者の顔を見て診察しない。数値に頼って、患者の訴えを聞かない。百人百様の病気に、マニュアルどおりの医療しか行わない。検査結果にばかり依存した最近の医者にありがちな欠陥である。昔のお医者さんはもっと親身になって一人ひとりを診てくれた、という苦情が出る。
それを反省して、欧米では患者の愁訴に基づいた医療、これも長たらしいが、「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱されている。ナラティブ、すなわち物語を基礎にした医療である。患者は個別の愁訴を持っている。その物語を聞いて、一人ひとりにオーダーメイドの医療を志す。現代医療に欠けていた視点である。
もともと東洋医学では、それを実践してきた。漢方医は患者一人ひとりの症状をよく聞き、個別の患者に応じて薬を調合してきた。刻々変化する患者の病状に合わせて調合を変える。ナラティブ・ベイスト・メディシンは、漢方では何百年も続いた伝統なのだ。
難病やがんの末期など、個別性が高い病気の治療には、エビデンスに基づいた医学だけでは対応しきれないものがある。一人ひとり個別の対応が必須である。私のような脳卒中後遺症などは、一人ひとり症状の程度や質が異なる。誰一人として同じリハビリのやり方では通用しない。異なった病気や障害に対して、医者や療法士は一人ひとりに対応する治療を施す。一律に日数で制限するなど論外である。それを厚労省は理解しようとしない。同じ過ちをまた繰り返そうとしている。
私は二十年来、漢方薬のお世話になっている。初めは金沢の漢方の名医にかかっていたが、体が不自由になってからは、茨城の山中の薬草園で細々と営業している漢方薬局で、仙人みたいな薬剤師に調剤してもらっている。もちろん個別に相談して、自分に最適の処方をしてもらう。遠いので薬は一月分を郵送してもらってきた。症状の変化は電話で連絡する。
ところがこの六月から、薬事法が改定されて、薬を送ってもらうのが禁止された。薬のネット販売を規制したついでに、漢方薬の郵送まで禁止してしまうという乱暴なお達しである。電話で症状の変化を伝えても、少しでも処方が変わるともう送ってもらえない。薬がもらえずに泣いている患者も多い。
もともと漢方薬は、患者の症状にあわせて微調整するナラティブ・ベイスト・メディシンの典型である。生薬や煎じ薬など、重いものや嵩張るものは郵送してもらうのが本来の購入法であった。それが禁止されてしまった。遠くに住む高齢者や障害者は、とたんに困ってしまった。
どこででも同じ薬を買うことができるわけではない。長く同じ薬剤師にお願いして、信頼と経験に基づいて、自分に合った薬を調剤してもらっていた患者は、途方にくれている。
伝統医薬の価値を再評価することは、世界の医療の潮流である。日本だけ漢方医薬の入手法が、政府によって恣意的に妨害されてしまうのは許すことができない。
(ただ・とみお 免疫学者)
恣意的とは、「かってきままにする」という意味。
妨害しているその対象は、国民の健康であることに行政は気付いてほしい。
許されざる暴挙なのであります。
過ちを正すに憚る事なかれで、一刻も早く正しい行政指導に修正すべきあります。
多田富雄先生は、免疫学の権威。
脳梗塞で倒れ、介護を受ける境遇にもかかわらず、執筆活動を続けておられる。
昨年は、「寡黙なる巨人」で小林秀雄賞を受賞している。
ウイキペディアに詳しい。
多田先生関連の過去記事はこちら。
多田富雄先生が小林秀雄賞を受賞
http://blogmasaki-ph.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3b2c.html
賞味期限に頼らぬ知恵
http://blogmasaki-ph.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_c08f.html
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