カテゴリー「多田富雄」の6件の投稿

2010年4月22日 (木)

免疫学者、エッセイストの多田富雄氏が死去

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 世界的な免疫学者で、エッセイストとしても知られた多田富雄さんが21日午前10時31分、前立腺がんで死去した。76歳だった。偲ぶ会は6月18日午後6時30分、東京都千代田区丸の内3の2の1東京会館。自宅は文京区本郷6の24の5。喪主は妻式江さん。

 茨城県生まれ。千葉大医学部で学んだ。免疫の仕組みで重要な働きをするサプレッサー(抑制)T細胞を発見、1971年の国際免疫学会で発表し、ノーベル賞級の業績と評価された。のちに国際免疫学会連合会会長などを歴任。84年、文化功労者。

 免疫学を土台に、独自の生命論、文化・社会論を展開、文筆業でも活躍した。93年に「免疫の意味論」で大佛次郎賞、2000年に「独酌余滴」で日本エッセイスト・クラブ賞を受けた。

 01年、脳梗塞で倒れ、右半身まひとなったが、左手だけでパソコンを操り、多数の著作を刊行。08年には闘病の日々を描いた「寡黙なる巨人」で小林秀雄賞を受けた。新作能の作者としても知られ、相対性理論を題材とした「一石仙人」などを発表した。一方、06年には、リハビリテーション医療に日数制限を設けた医療保険の診療報酬改定に抗議し、制限撤廃を求める44万人分の署名を厚生労働省に提出。最晩年まで社会に積極的に働きかける姿勢は変わらなかった。

 解剖学者、養老孟司さんの話「自然科学は一種の美的感覚だが、多田さんは文章でも日常生活でも、美しいものに対する感性が優れていた。彼の文章は、冗舌な現代には珍しい、削り込んだ言葉の表現。能の美しさに引かれたのも同じ感性から。病気をしていなければ、もっと活躍できた人だった」

(2010年4月21日19時30分  読売新聞)

読売新聞に月1回くらい掲載され、いつも心あたたまる文章を楽しみにしていた「落葉隻語」を紙上ではもう読むことができないのがさびしい。

多田先生の記事は、カテゴリー「多田富雄」にまとめている。

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2009年11月 7日 (土)

失語症の集いイン首都圏 多田富雄の落葉隻語

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リンク: 多田富雄の落葉隻語 「有難う」と叫びたい : こころのページ : 暮らし 社会 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

去る10月3日に東京・武蔵野市で行われた「失語症の集いイン首都圏」といKp_tada う集まりに参加した。失語症者が働く共同作業所「パソコン工房ゆずりは」の仲間たちが団結して開催したものである。秋も深まった武蔵野に、柔らかい日差しが注いでいた一日だった。

 あなたは「失語症」という病気を知っているだろうか。それは単に言葉をしゃべれないといった障害ではない。言葉を作り出し、それを記号として組み立てて、意味のある文章に仕立てる能力が障害された困難な障害者なのだ。

 失語症はもともと基礎疾患として脳血管の障害など脳の障害がある。脳卒中、脳梗塞などの患者の何%かは程度の差もあるが失語症の症状が出る。若い人でも先天性の血管障害のため失語症になるものや、交通事故など、不慮の脳傷害のため言語能力に欠陥が生じたものもいる。

 傷害されている脳の部位によって、程度も症状も違う。たとえば赤いりんごがあるとする。彼はそれを剥いて食べれば美味しいことを知っている。しかしそれを赤い「りんご」と言葉で言うことができない。またりんごと聞いても、おいしい果物と認識することができないほどの重症者もいる。この場合、りんごという言葉からその実体を思い浮かべる、つまりりんごという言葉とそのイメージを結合することができない。時にはりんごという言葉を聞いて、それを鸚鵡返しに復唱できない人もいる。こちらは言葉そのものを作り出すことができない。

 私は脳梗塞で言葉をしゃべれない。音を発声する筋肉が麻痺したため声を作ることができない。こちらは「構音障害」という。構音障害では、発音はできないが、言葉を考え、意味を理解し、文章に構成することはできる。だからこうして文章を書くことができるのだ。

 一方、失語症は声は大きく出る場合が多い。しかし、たとえ親子や夫婦の間でも言葉が通じにくい。何か言いたくても言葉にならないのだ。ある失語症の患者は、「有難う」という言葉を満足に言えるようになるのが努力目標だという。私も世話をしてくれる妻に「有難う」と自分の声でお礼が言いたい。言語障害者の日常生活の不便は想像を絶する。

 統計すらないのだが、毎年4万人以上が発症しているという。わたしが通っていた病院でも、ヴィデオで「ドア」の絵が映ったら、「ドア」と言う文字を押せば丸が出るというような単調なリハビリの訓練を続けている人が多くいた。失われた脳の機能を再構築する気の遠くなるような訓練だ。身体の不自由さに加えて、言葉が操れない悲しみは健常人の想像を越えたものがある。

 身体の麻痺は軽くても、話が通じにくいので世の中から疎外される。この障害に対する社会的な認知度は低く、行政も見向いてくれない。社会から疎外されて、人との交流も少なくなる。失語症は孤独な戦いの連続である。

 わずかな理解者と患者たちの協力、親身に努力してくれる言語聴覚士や、ボランティアの力でこの「失語症の集いイン首都圏」が開かれた。当日は500人を越える人が集まった。会では音楽や講演のほかに、それぞれの地域のグループの挨拶があった。不自由な言葉を操り、原稿を何度も見ながら、大声を張り上げて、理解してくれる方に「有難う」を叫んだ。初めての子供が生まれたと、嬉しそうに報告した若い人もいた。

 私が言葉を失った体験を話し終わったとき、聴衆から「多田先生!」という声が上がった。私も精一杯の声を張り上げ、「ハーイ!」と答えた。社会からは疎外された人たちだが、外にはやわらかい秋の日差しが、さんさんと降り注いでいた。

(ただ・とみお 免疫学者)
(2009年11月06日  読売新聞)

生きるということを考えさせられて胸が熱くなります。

多田富雄先生関連の記事はこちらに

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2009年8月24日 (月)

漢方薬 郵送禁止の乱暴

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漢方薬の郵送禁止問題に関して、この記事を見逃していました。

昨日の日中医薬研究会の例会でF先生から教えてもらった情報です。

リンク: 多田富雄の落葉隻語 漢方薬 郵送禁止の乱暴 : こころのページ : 暮らし 社会 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

 近年医学界では「エビデンス・ベイスト・メディシン」という長たらしい言葉がはやっている。エビデンス、つまり科学的根拠に基づいた医療という意味だ。

 医学は科学だから、科学的根拠があるのは当然だ。昔のような「さじ加減」は通用しない。薬の投与量は科学的に決定される。患者の状態はあらゆる検査によって、正確に把握される。昔のように曖昧な聴打診による経験的診断法は排される。

 こうして近代医学は発展してきたのだが、それが行き過ぎて、問題も起こっている。医者がパソコンばかり眺めていて、患者の顔を見て診察しない。数値に頼って、患者の訴えを聞かない。百人百様の病気に、マニュアルどおりの医療しか行わない。検査結果にばかり依存した最近の医者にありがちな欠陥である。昔のお医者さんはもっと親身になって一人ひとりを診てくれた、という苦情が出る。

 それを反省して、欧米では患者の愁訴に基づいた医療、これも長たらしいが、「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱されている。ナラティブ、すなわち物語を基礎にした医療である。患者は個別の愁訴を持っている。その物語を聞いて、一人ひとりにオーダーメイドの医療を志す。現代医療に欠けていた視点である。

 もともと東洋医学では、それを実践してきた。漢方医は患者一人ひとりの症状をよく聞き、個別の患者に応じて薬を調合してきた。刻々変化する患者の病状に合わせて調合を変える。ナラティブ・ベイスト・メディシンは、漢方では何百年も続いた伝統なのだ。

 難病やがんの末期など、個別性が高い病気の治療には、エビデンスに基づいた医学だけでは対応しきれないものがある。一人ひとり個別の対応が必須である。私のような脳卒中後遺症などは、一人ひとり症状の程度や質が異なる。誰一人として同じリハビリのやり方では通用しない。異なった病気や障害に対して、医者や療法士は一人ひとりに対応する治療を施す。一律に日数で制限するなど論外である。それを厚労省は理解しようとしない。同じ過ちをまた繰り返そうとしている。

 私は二十年来、漢方薬のお世話になっている。初めは金沢の漢方の名医にかかっていたが、体が不自由になってからは、茨城の山中の薬草園で細々と営業している漢方薬局で、仙人みたいな薬剤師に調剤してもらっている。もちろん個別に相談して、自分に最適の処方をしてもらう。遠いので薬は一月分を郵送してもらってきた。症状の変化は電話で連絡する。

 ところがこの六月から、薬事法が改定されて、薬を送ってもらうのが禁止された。薬のネット販売を規制したついでに、漢方薬の郵送まで禁止してしまうという乱暴なお達しである。電話で症状の変化を伝えても、少しでも処方が変わるともう送ってもらえない。薬がもらえずに泣いている患者も多い。

 もともと漢方薬は、患者の症状にあわせて微調整するナラティブ・ベイスト・メディシンの典型である。生薬や煎じ薬など、重いものや嵩張るものは郵送してもらうのが本来の購入法であった。それが禁止されてしまった。遠くに住む高齢者や障害者は、とたんに困ってしまった。

 どこででも同じ薬を買うことができるわけではない。長く同じ薬剤師にお願いして、信頼と経験に基づいて、自分に合った薬を調剤してもらっていた患者は、途方にくれている。

 伝統医薬の価値を再評価することは、世界の医療の潮流である。日本だけ漢方医薬の入手法が、政府によって恣意的に妨害されてしまうのは許すことができない。

(ただ・とみお 免疫学者)

意的とは、「かってきままにする」という意味。

妨害しているその対象は、国民の健康であることに行政は気付いてほしい。

許されざる暴挙なのであります。

過ちを正すに憚る事なかれで、一刻も早く正しい行政指導に修正すべきあります。

多田富雄先生は、免疫学の権威。
脳梗塞で倒れ、介護を受ける境遇にもかかわらず、執筆活動を続けておられる。
昨年は、「寡黙なる巨人」で小林秀雄賞を受賞している。

ウイキペディアに詳しい。

多田先生関連の過去記事はこちら。
多田富雄先生が小林秀雄賞を受賞

http://blogmasaki-ph.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3b2c.html
賞味期限に頼らぬ知恵
http://blogmasaki-ph.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_c08f.html

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2008年9月11日 (木)

多田富雄先生が小林秀雄賞を受賞

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第7回小林秀雄賞が、東大、千葉大の教授などを歴任の免疫学者で、作家でもある多田富雄先生の「寡黙なる巨人」に決まりました
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080901bk15.htm

多田先生は、7月2日の当ブログ(賞味期限に頼らぬ知恵)で紹介しています。

多田先生は2001年突然脳梗塞で倒れ、生死の境をさまよい、臨死的な状況を経て、生還するも、右半身麻痺、言語障害などの重度の障害が残ってしまった。

しかし、懸命のリハビリと、言語障害を補うパソコンに必死に取り組み、執筆活動を再開し、毎年著作の出版が続いています。

その闘病で人生を見つめた思いを中心に綴られたのが、「寡黙なる巨人」と云えると思います。

自身の実体験から感じられた、現代医療の問題点もこの本の中でズバリと指摘しています。

8月13日の読売新聞落葉隻語「介護に現れる人の本性」もそのひとつです。

9月10日の、「望郷」の果ては「亡国」か、は日本人の根幹にかかわる問題点の指摘です。

「寡黙なる巨人」の名批評があります。JanJanというサイトの書評です。

http://www.news.janjan.jp/culture/0710/0710053504/1.php

ぜひお読み下さい。

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2008年7月 3日 (木)

実は生卵は一年もつんですってよ、奥さん!!

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昨日紹介した、多田富雄先生の仰る事を補完・実証する例が今日のブログにありました。

福島香織さんの「北京趣聞博客(ペキンコネタブログ)たまには軽いエントリー①卵の話し」 http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/629714/

■私「どうして、中国の卵って何ヶ月ももつんですか?日本の卵は賞味期限がせいぜい1カ月くらいでしょう?」
卵屋さん「卵、本当は半年くらい平気で持つんですよ。持たないのは日本の卵くらいです」
私「ええ??日本の卵は腐りやすい?」
卵屋さん「日本の卵は、洗浄してから市場に出すことが定められているんです。でも
中国や欧州は、鶏のおしりからでてきたそのままの卵を市場にだします。卵の表面は実は薄い膜でおおわれていて、洗浄しないと、その膜はついたまま。ですから中に空気も雑菌もはいりません。冷蔵庫にいれておくと、一年くらいはもつでしょう」

実は生卵は一年もつんですってよ、奥さん!!

■私「ではどうして、日本は卵を洗うんでしょう。洗わないほうが日持ちするのに」
卵屋さん「それは鶏のおしりから出てきたままだと、汚いから、雑菌だらけなんです。ですから
中国や欧州の生卵は表面はばっちいですよ。使うまえは30度くらいのお湯で洗ったほうがいいです。」
私「家の冷蔵庫に、去年2月から冷蔵庫に入れっぱなしの生卵があるんですけど、どうなっていると思います?」
卵屋さん「いや、雑菌が入っていなければ腐って真っ黒、ということにはならないと思いますよ」
私「じゃあ、こんど皆さんが家に遊びにきてくれたときに、わってみますね、楽しみ!」

kiyohikoの子供時代はどんなに古い玉子でも割ってみて黄身が崩れていなければ絶対大丈夫で平気で食べていました。賞味期限などありませんでしたし、自分で判断していました。最近も、といっても数年前ですが、期限切れから3ヶ月くらい経ったのを卵焼きにして食べたのを覚えていますが、旨かったですよ。

福島香織さんは産経新聞中国総局記者。レポートが素晴らしい。カテゴリー「食の安全学」に限らず素晴らしい。中国当局に睨まれて大丈夫かとシバシバ心配しますが。

mikoさんも、福島さんのこのエントリーを取り上げています。
http://miko.iza.ne.jp/blog/entry/630054/

mikoさん先生には「よくぞ書いてくれた」という記事をいつも紹介してもらって、目の鱗を落としてもらっています。私が青山繁晴さんの動画が見られるのはmikoさん先生のおかげです。

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2008年7月 2日 (水)

賞味期限に頼らぬ知恵

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免疫学者・多田富雄先生の「多田富雄の落葉隻語(読売夕刊・7月1日)」は値傾聴。

何日かしたら、ここに載ってくるのでしょうが、まだなので全文引用。

 この季節になると、食べ物の足が速い。お弁当なんかすぐ臭くなるからご用心。でも私はあまり気にしないで食べてしまう。おなかをこわすこともない。
 昨年は「消費期限」『賞味期限」の偽装事件が頻発した。和菓子、チョコレート、干し芋まで、次々に偽装が発覚した。偽りの情報でものを売ることは、詐欺行為だから無論いけない。そうはいっても、すぐに廃棄という措置も頂けない。
 食品の表示は「賞味期限」と「消費期限」がある。前者は黄色信号で公社は赤信号と思えばいい。賞味期限が過ぎた食物を、大量に廃棄している映像がテレビで流された。飢餓に苦しむ難民を見た後なので、「ちょっと待って」と声をかけたくなった。
 地球規模で食糧不足が叫ばれているのに、日本だけこんな無駄をしていいはずがない。大体、賞味期限とは単なる食べ時の目安ではないか。規制をかける必要があるだろうか。生産者の自主的表示でいいのではないか。
 腐ったものを食わされるのはまっぴらだが、あれは多少劣化しているだけだ。食中毒はボツリヌス菌やサルモネラ菌などで起こるが、賞味期限とは無関係で製造の過程で混入する。

 近頃、日本人には過剰な無菌志向がある。もともと私たちの周囲は黴菌だらけである。黴や細菌、総称して黴菌と人類は共存しながら進化してきた。
 昔、私の母など、残ったご飯の糸の引くのを平気で食べていた。確かに雑菌は増殖しているが、おなかをこわすことはなかった。家族には炊き立てのご飯を食べさせた。お客に料理を使い回した料亭とはまるで精神が違う。
 口から入る日常の雑菌に曝されて腸管の免疫が強化され、下痢を起こす黴菌に抵抗力を獲得する。アレルギー体質も少なくなる。
 子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌との戦い方を習得しているからである。学習の場は主に腸管である。成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる。免疫学者の私が言うのだ。信じていい。
 かといって、私は腐ったものを食べろなどと乱暴なことを言っているのではない。過剰な無菌志向は、かえって抵抗力を損ない、アレルギー体質を招くといっているだけだ。
環境がきれいになった今の日本で、アレルギーは国民病となった。戦前の青洟(あおばな)を二本たらした子供にはアレルギーなどなかった。開発途上国の子供にもアレルギーは少ない。
 発酵食品など伝統的保存食では、菌たちがお互いにバランスを保って病原菌の増殖を抑えているのである。こうした古人の知恵に学ぶ事が必要である。
 本当に危険な「消費期限」を表示させて、後は消費者の選択に任せたらどうか。それが本当の「食育」である。消費者は表示に頼らず、自らのリスクで食物を選ぶ知恵を持つべきである。偽装に惑わされる事なく、資源を無駄にしないよう心がける。それより表示に頼って、食物の有り難さを忘れるほうが怖い。
 消費者には賞味期限を過ぎた食品の、安全な食べ方、保存法の指導が必要だ。生産者には、作り過ぎないように生産調整の指導をする。そうでないと、毎日何万トンもの食品が無駄になる。再生食品や飼料とする方法も開発しなければならない。日本の技術力が試されるところである。
 世界的な食糧危機が叫ばれている現在、食品がちょっと劣化したくらいで廃棄したら罰が当たる。75歳を過ぎたらもう期限切れ、廃棄しようという後期高齢者医療制度も同じである。それより目に余る劣化、腐敗が報じられている官僚を一掃したほうが安全だ。

本当に正論です。今は古人の知恵をないがしろにしすぎです。

多田先生のプロフィールは、ウキペディアで、そんなに詳しくはないが。

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