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2011年3月15日 (火)

放射線の政府指針 50ミリ・シーベルトなら「避難」

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放射線の政府指針 50ミリ・シーベルトなら「避難」 : 医療ニュース : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)

10~50で「屋内退避」

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福島第一原発で多数の住民の被曝が次々と明らかになっている。避難指示の範囲の外にいれば大丈夫か、そもそも放射線の監視は万全なのか――。

 現在出されている避難指示は、福島第一原発から半径20キロ・メートル圏。範囲を決める目安になるのは、事故で放出が予想される放射線の強さだ。

 政府の原子力安全委員会が定める指針では、健康への深刻な影響が懸念される50ミリ・シーベルトの汚染が予想される範囲を目安に「避難」の指示を出し、10~50ミリ・シーベルトを目安に「屋内退避」の指示を出すことになっている。

 文部科学省は、今回の事故が深刻化して原発内の放射性物質が広範囲に放出された場合、周辺にどう汚染が広がるかをコンピューターで計算。地形や気象条件なども踏まえ、50ミリ・シーベルトの汚染は半径数キロ・メートルの範囲内に収まると予測した。専門家で構成する原子力安全委員会が、こうした拡散予測などを参考にさらに検討を加え、最終的に首相が避難指示を出す仕組みだ。

 当初、半径10キロだった避難範囲が12日夜、半径20キロに広げられたことについて、元原子力安全委員の住田健二・大阪大学名誉教授(80)は、「今回の事故の規模からみれば、原発から半径10キロ・メートル以内の避難が行われていれば、健康被害は心配ないが、住民の安心をより重視した結果だろう」と分析した。

 住田さんは「放射性物質が、避難範囲を超えて、広く拡散することはあり得るが、指示に従って避難すれば、健康影響は心配ない」と話す。

 放射線の監視体制は、地震によって大きなダメージを受けた。福島第一原発では、発電所の敷地境界線に沿って8か所の測定器を設置し、常時、空気中の放射線量を監視してきた。これ以外に福島県も、情報の信頼性を確保するため、独自に23か所に測定器を設置していた。

 しかし、今回の地震で機器が故障したり、通信回線がダウンしたりしたとみられ、東電が設置した8か所すべての地点でデータが取れなくなった。

 県の測定器のデータも地震後、途絶えているため、県は13日、青森、石川など4県の協力を得て、原発から半径20キロ付近を中心に、8基の移動式測定器を新たに設置、計測を始めた。

CTスキャン 1回で6.9ミリ・シーベルト

 ミリ・シーベルト シーベルトは、放射線に被曝した際の健康影響を示す単位。1シーベルトの1000分の1が1ミリ・シーベルトで、そのさらに1000分の1が1マイクロ・シーベルトになる。国際放射線防護委員会の勧告によると、一般人が1年間に浴びる放射線量の限度(日常生活で浴びる分や、医療目的は除く)は1ミリ・シーベルト、日常生活では、1年間に通常、2.4ミリ・シーベルトを浴びている。1回の胸部CTスキャンで浴びる量は6.9ミリ・シーベルト。

 今回の事故で環境中に放出されている放射性物質は微量なため、政府の発表などでは、マイクロ・シーベルトが使われている。福島第一原発の周辺で13日午後2時前に記録された放射線量は1時間当たり1557.5マイクロ・シーベルト。これに対し、東海村JCO事故で被曝して死亡した作業員が浴びた放射線の総量を同じ単位で表現すれば、1000万~2000万マイクロ・シーベルトになる。

(2011年3月14日 読売新聞)

こんな数字に関心を持つようにはなりたくなかったが・・・

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コメント

そんなわけないじゃんとお思いの方も多いと思います。
ですが、何もしないよりいいのではないでしょうか。
ご参考まで。

http://www.geolife.jp/NewFiles/m-taisitu.html から

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本の内容

わずか61ページ。しかし、この薄い本の中には、大正生まれの医師、秋月辰一郎さんの、自らの体験から得た、健康への道のエッセンスが詰まっています。自らの病体験をはじめ、30年もの間、医者として病人と接してきた診察の結果、自らの命をかけて病気と健康について考え続けてきた結果がここにあります。

子どもの頃から体が弱かった秋月医師は、卵や牛乳、肉を、努めて食べてきました。ところが、栄養学でよいとされるものをいくら食べても体は強くならず、自身の道を探り始め、たどり着いたのが味噌であり、味噌汁でした。
特に、わかめ、油揚げ、あるいは、凍み豆腐、麩の味噌汁をすすめます。

昭和20年8月9日。長崎の原爆投下。当時、(当日も)爆心地からわずか1.8kmのところにあった病院(現、聖フランシスコ病院の前身)に医長として勤務していた秋月医師は、仲間とともに、懸命に被爆者の治療にあたります。過酷な状況下にもかかわらず、秋月医師も仲間も、原爆症が発症することはありませんでした。奇跡ともいえるこの事実を、わかめの味噌汁を食べ続けたおかげと確信します。

本の中では、脂肪、タンパク質、ミネラル、乳酸菌などの観点からも、味噌汁のすぐれている点を説いています。
そして、日本の風土に適している点にも、重きを置いています。

科学を盲信せず、伝承を盲信せず、情報を盲信せず、自らの体験に照らし合わせながら、総合的に判断していく。
このように、真に科学的な姿勢から書かれたこの本は、情報にふりまわされる私たちにとって、大きなヒントと安らぎを与えてくれます。

    

投稿: お世話になっています。 | 2011年3月15日 (火) 12時55分

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