食のたからもの再発見プロジェクト写真展
ふじみ野市 マサキ薬局 の 漢方なブログです。健康情報を主体に書いて行きます。
昨夕、食のたからもの再発見プロジェクト写真展に行き、オープニングレクチャーを聴講してきました。
240㌢の高さの展示バナーが20個あまり並び、とち餅、フナ寿司などの生産現場が写真入りで紹介されていました。
食品類は、シンクタンク、東京財団のサイト、こちらにくわしく紹介されているものです。
このプロジェクトは、日本各地で何百年、何千年も前から育まれ、培われ、連綿と受け継がれてきた、古人の知恵、大切な食文化が、日本のあちこちで消滅の危機に瀕していることを、国の正しい繁栄にとって憂うべきことと捉え、大きな危機感を抱くことから生まれているのだと理解しました。
その趣旨は、上のサイトに記されています。
レクチャーは、調査・報告が終わっているの23件の食品から、新潟県山北町の山熊田地区の焼畑かぶが取り上げられ紹介されました。
焼畑農業は南アジアやアフリカのもので日本にはないと思っていました。
ところが、日本では数百年前から続き、今ではごくわずかの地域の残る焼畑は、環境によくない粗放な農業では全くなく、むしろ持続可能な農業であり森との付き合い方であるといいます。
配布された資料には次のようにありました。
日本の焼畑は数十年のサイクルで、焼いて植え、その後土力が回復するまで休ませ、よい灰ができるだけの緑が育つのを待ってまた焼くというやり方だった。
地域差はあるが30~50年の周期で火入れをする。
妬いた初年度にはそば、翌年には雑穀、土力が落ちてくる3年目には小豆やいもを植えた。
その後は杉を植林し40~50年を経て育った頃ふたたび焼く。
山を育てながら続けていく気の長い農林業なのだ。
山熊田では、19年8月、21件の集落が協力しあい50年ぶりに畑に火入れをした。 先ずは7月中旬、杉などを伐採し下草を刈り、地ごしらえする。
地元の人によればこれが一番の大仕事だという。
翌朝まだ地表がまだ熱いうちにかぶの種を撒く。
種の発芽というと水に浸すイメージが強いが、灰の熱が種の発芽を促すそうだ。
焼畑の火で雑菌や害虫を焼き殺すため、農薬も除草剤も手間もいらずに作物が育つ。
また灰に含まれるカリウムなどのミネラル成分で肥料も水さえも要らない。
それだけではなく育った作物の栄養価も高い。
そして何よりおいしい。
山熊田のかぶを作る人たちが口を揃えて言うには、「焼畑のかぶは色もようでるし、しゃきっと感触もよく、おいしい」のだ。
10月、収穫したかぶは、その日のうちに7人の加工グループによって一気に漬け込まれた。
一度も途絶えることなく続く焼畑を支えるのは、70代を中心とするベテラン層。
都会に暮らすものには気の遠くなるような時間軸の中で、山熊田の人々は自分たちの暮らしを支える森を見つめてきたのである。
持続可能な暮らしのヒントを遠い異国の例に頼るのではなく、焼畑という足元に残る食文化の中に探ってみる方が、ずっと具体的ではないだろうか。
平成17年、高知県の仁淀川町と本川村では30年近く途絶えていた焼畑が復活した。
焼畑によって荒れた山林に手を入れ、焼畑が終わった後に雑木を植えようという試みである。
次の焼畑を行う50年後に、これを引き継げる人たちがどのくらいいるかが問題で心配されるようです。
山北町焼畑体験ツアーというのがあったそうです。
焼畑は50年後で今は無理ですが、色々な体験ができるツアーはできるそうです。
民宿が1件あり、そこを利用しますが、キャパが足りないときは、民泊になるとのこと。
この地区は、しな布という素晴らしい古代織りが継承されているそうです。
しなの木の皮を長時間手をかけて糸にし丹念に織り上げて出来上がります。
山北町商工会のサイトで紹介しています。
焼畑かぶもしな布も初めて知りました。
応援する人が多くなければこの伝承の素晴らしい技術が消滅してしまうわけです。
つづく
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