第9回村井弦斎まつり
ふじみ野市 マサキ薬局 の 漢方なブログです。健康情報を主体に書いて行きます。
第9回村井弦斎まつりが10月4日平塚市で開催されます。
案内はこちらのサイトにあります。
食育の先駆者、村井弦斎については、この漢方なブログでも、食育のカテゴリーと食のリスクのカテゴリーで何回もエントリーしています。
当ブログでは、大ブームを巻き起こしたベストセラー小説「食道楽」が世に出た頃までを紹介しました。
その後の村井弦斎は、印税で巨万の富を手にし、神奈川県平塚市に1万6千4百坪という広大な土地を購入し食を探求する道を突き進みます。
ここの生活を黒岩比佐子さんは食道楽(上)で解説しています。
彼は富士の高嶺を望む神奈川県平塚市に一万六千四百坪の広大な土地を購入し、あたかもユートピアのような生活を始めるのである。
弦斎は家屋より庭の方に力を入れ、野菜園、果樹園、草花園、促成園(温室)、鶏舎、ウサキ舎、山羊舎、厩舎、などを設け、畑では伝統的な農作物はもちろん、パセリ、レタス、セロリ、アスパラガス、トマト、アーティーチョ-ク、など珍しい西洋野菜もつくった。
果樹園では桃、柿、枇杷、無花果、梅、柘榴、などを栽培し、鶏舎では様々な品種のニワトリを飼育した。
また、子供たちに乗馬をさせるために馬を飼い、鉄棒や遊動円木やブランコを設置した運動場を設け、ネットを張ってテニスもしていたらしい。
弦斎は『食道楽』で提唱した理想の家庭生活を、自ら実践しようと考えていたのだろう。
その後、弦斎は脚気予防の糠と玄米の研究、難病の食物療法にのめりこんでいきます。
断食や木食を実践したり、御岳山山中で竪穴式住居の暮らしを試みたりもしています。
黒岩比佐子さんは、「それは、仙人のように暮らす奇人イメージを人々に植えつけることになった」と書いています。
その後、体調を崩した弦斎は、断食療法などを試みるも衰弱し、昭和2年(1927年)7月30日に63歳で死去しました。
「薬をまったく受けつけず、親しい友人や親戚の見舞いも謝絶して、孤独の中で病気と闘う道を選び、最後まで頑固に自分の信念を貫き通した一生だった。」とあります。
村井弦斎まつりについては、サイト上で、
村井弦斎まつりは、明治時代に、平塚の南側に広大な敷地をかまえた文化人「村井弦斎」をしのび、平成11年から始まりました。弦斎の敷地後である「村井弦斎公園」で、弦斎が好んだ筝、尺八、野点、「弦斎の会」による弦斎の著「食道楽」のレシピ再現、また、弦斎の写真や書物を展示など、さまざまな趣向を凝らし、来場者の方々に楽しんでいただいております。
また、数多くの協賛をいただいている弦斎クイズ、抽選会は、ご好評をいただいております。
村井弦斎まつりは、平塚市、弦斎の会、三曲連盟、平塚茶道協会、平塚市食生活改善推進団体(ママの会)、周辺周辺自治会など、多くの団体、個人で構成した村井弦斎まつり実行委員会によって運営されています。
と紹介しています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


先ずは7月中旬、杉などを伐採し下草を刈り、地ごしらえする。
厚く硬くなったかかとにも、たっぷりと潤いを与え、
着色・無香量
細胞を元気にする
ーティシャン ハンドクリーム








最近のコメント