食育のルーツ・村井弦斎(1)
ふじみ野市 マサキ薬局の 漢方なブログです。健康情報を主体に書いて行きます。
食育という言葉の生みの親さぐりの2回目です。
食育のルーツは明治31年の石塚左玄と明治36年の村井弦斎の書籍にあるとされています。
今回は二人目の村井弦斎について調べます。
村井弦斎については、ウィキペディアにかなり詳しく出ています。先ずそちらをどうぞ。
村井弦斎(1864年~1927年)が書いた小説「食道楽」の第252章のタイトルがそのものズバリの「食育論」ですので、お読みください。この小説のヒロインはお登和、主人公が大原満で、お登和の兄中川と大原の友人小山が中心で展開する物語です。
第二百五十二 食育論
生活問題の人生に大切なるは今更の事にあらざれども世人はとかく迂闊に流れて人生の大本を忘るる事多し。小山も深く感動しけん。「お登和さん、私は学校にいた時分から他の人よりも余計に色々な智識を蓄える事が好きで、歴史上の智識でも文学上の智識でも科学上の智識でも頭へ詰め込む方でしたが今になってみるとまだまだ実用の智識は一向蓄えていない事を悟ります。これも一つは我が邦の教育法が間違っているから何事も実際には迂遠な人物ばかり出来るのですね。これからの子弟を教育するものはよほどその点に注意しなければなりません」
お登和嬢 「さようでございますとも。私なんぞが女の癖に教育の事をかれこれ申しては生意気に亘りましょうが平生兄はこう申しております。今の世は頻りに体育論と智育論との争いがあるけれどもそれは程と加減によるので、知育と体育と徳育の三つは蛋白質と脂肪と澱粉のように程や加減を削って配合しなければならん。しかし先ず智育よりも体育よりも一番大切な食育の事を研究しないのは迂闊の至りだ。動物を飼ってみると何より先に食育の大切な事が解る。鶏を飼っても食物が悪ければ卵を沢山産まない。牛を飼っても食物が悪ければ牛乳の質が粗悪になる。馬を飼っても豚を飼っても食物の良否でその体質が変化する。人間もその通りで体格を善くしたければ筋骨を養うような食物を与えなければならず、脳髄を発達させたければ脳の栄養分となるべき食物を与えなければならん。体育の根源も食物にあるし、智育の根源も食物にある。してみると体育よりも智育よりも食育が大切ではないかとよくそう申します。ちっと風変りな議論かも知りませんが鶯を飼って好い声を出させようとすると大層食物を吟味して栄養の多い消化の速いような摺餌を与えます。人もその通りで善い智恵を出させようとするにはそれだけの食物を与えなければなりますまい。野菜を作っても肥やしが大切です。人も不衛生的な粗悪な食物ばかり食べていては身体も精神もともに発達しますまいから誰でもこれからは食育という事に注意しなければなりません。赤児を牛乳で育てる人は少し胃腸が悪くなると、オヤオヤこの子が下痢するよ、きっと牛乳屋で青草ばかり牛に食べさせるからだろう、牛乳屋に小言を言って遣ろうなんぞとその時分だけ食物の影響を知っていますが少し大きくなると大人同様の食物を与えて平気でいます。発達を過ぎた大人と発達盛りの小児とはよほど食物の配合を変えなければなりません。大人になっても毎日食物の影響を受けています。脳髄が発達して上等の人種になるほど食物の影響を鋭敏に受けます。ちょうど犬は腐った肉を食べても平気ですが人はそれを食べると胃腸を害するようなもので、高等の動物になるほど食物の影響に感じやすいのです。同じ人でも白痴と狂人は何を食べても滅多に中りません。それは神経を使わないから胃腸が無神経同様になって下等動物に近いのです。そう思うと何を食べても決して中らぬなんぞと自慢するのはあんまり自慢にもなりませんね」 と今の世にはいまだかかる自慢もありと見ゆ。
知育・徳育・体育の三育を基本としていたのが明治時代の教育だったのですが、弦斎はお登和の口を借りて、「食育」のほうがもっと大切だと主張しているわけです。
ここに一つの解説があります。http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080219bk02.htm
つづく
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