食育のルーツ・石塚左玄
ふじみ野市 マサキ薬局の 漢方なブログです。健康情報を主体に書いて行きます。
食育という言葉の生みの親をさぐります。
昨日書いたように、食育のルーツは明治31年の石塚左玄と明治36年の村井弦斎の書籍にあるとのことです。
石塚左玄については、ウィキペディアに詳しいので、詳細はそちらをご覧ください。
石塚左玄は福井県出身、嘉永4年(1851年)~明治42年(1909年)の人で、明治6年に医師と薬剤師の資格を取得し、陸軍の軍医、薬剤監となり少将になった人です。同時期の有名軍医に、軍医総監にまでなった文豪森鴎外(1862年~1922年)がいます。ちなみに鴎外は、きわめて優秀な人でありましたが、今ではビタミンB1欠乏症であるとわかっている脚気(かっけ)を、細菌による感染症との説を死ぬまで唱えた人でもあります。
石塚左玄は病気で苦しんだ事から「食」の研究をはじめた人で、栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱した日本の近代食養思想の先駆者です。
食医石塚左玄の食べもの健康法(農山漁村文化協会、1982.7)に記載の食養の系譜と題する表を見ると、20人の弟子が記載されています。その中に、谷干城・乃木希典の名も見えます。孫弟子になると有名な桜沢如一が出てきます。22人の孫弟子の中には、二木謙三、和辻哲郎、西端驥一といった名も見えます。ひまご弟子になると数え切れない数で、まさしく近代食養思想の祖であることがよくわかります。
石塚の食養学説は、食本主義、人類穀食動物論、身土不二、陰陽調和、一物全体食などが挙げられています。中でも、陰陽調和説が特徴だと思います。ナトリウムとカリウムに着目し、陽性のNaと陰性のKとのバランスの取れた食が健康の基本とする考え方です。Naの多いものは、塩はもちろん、肉・卵・魚などの動物性食品、Kの多いものは野菜・果物の食物性食品となります。精白した米はKが少なくなるというので玄米を尊重したようです。
我々は、食味・食性と五味調和の理論を重要視するので石塚理論には少し違和感があるのですが、偉大な食養家としての評価に異論はありません。
石塚が明治29年に出した科学的食養長寿論の中に食育という言葉が出てきます。
「嗚呼何ぞ学童を有する都会魚塩地の居住民は殊に家訓を厳にして、躰育智育才育は即ち食育なりと観念せざるや」と書いています。学童には、体育も智育も才育も全て食育である、という意味のようです。
石塚左玄の著書は、埼玉県内の公立図書館にはあまり置いてないようでしたが、国立保健医療科学院 研究情報センター図書館で閲覧できました。ここは医学関係の図書の宝庫です。埼玉県和光市にあるので、私には近くで助かります。
4月に、ここの疫学部長が発表した、高齢者は避けてほしいくすりのリスト が注目されました。
つづく
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
最近のコメント